普通に撮る

新年なので僕なりの街での撮影の極意を書いてみよう。
とにかく堂々と撮ること。
小さなカメラで気取られないようにとかノーファインダーで撮る人がいるけど僕はそうしない。そういう撮り方をするための写真の運動神経が僕には無いから。それならむしろと昔の人もそうしたように三脚を立ててじっくり構えて撮る。明治期の写真で当時の大型カメラを物珍しげに眺めている人が写っている写真があったけど、現代でもそういう風に撮ればいいと思う。
撮ろうかなと思う場所があったら構図を考える。しばらくその辺をうろうろふらふら歩きながら構図を決める。構図が出来たら当たり前のことをするように三脚を立てる。悠然と淡々と露出を測る。それから親の敵の頭に照準を定めるようにピントを合わせる。そしてシャッターをチャージしてフィルムをセットしレリーズを押す。
それを極めて当然の行為として撮影する。
通報されたり職質されることもあるけどまあそれは税金みたいなもの。タダで撮らせてもらえるなんて考えない。実際、写真は見るという行為を一瞬ではなくフィルムであったりデータであったりに定着させるものであって、一つの暴力的な存在であって、自分だけが安寧な立場に立てるとは考えない。それでも大抵は相手の目を見てきちんと話せば分かってもらえる。ピングラ像を見せてこういうのを撮っていたんだと説明する。どこが面白いと思ったのか、自分がどういうシリーズを撮っているのかなるべく丁寧に説明する。説明しても嫌だと言うなら撮ったものは破棄することも約束する。ロールフィルムだからその場で破棄するとなると他のコマも捨てることになるわけで、さすがにその場で破棄は実行できないけど。それでも必ずやると誠意を持って説明し約束する。今のところ一本丸々破棄するはめになったことはない。
時々プロか何かなのかと話し掛けられることもある。勿論違いますと答える。怪訝な顔をされることもあるしアマなのに熱心ですねと感心されることもある。
ちょっとした小物で帽子を被っておくというのもやる。これは昼間撮るときなんかは日除けとしての意味もあるんだけど、話し掛けられたら脱帽して礼儀正しく振舞っていると示すための小物。また身なりも小ぎれいな服装を選んでおく。相手に少しでも警戒心を抱かれないようにするため。オシャレである必要は感じないけど小ぎれいにしておくのは良いと思う。結局のところ、僕が撮っているのは誰かの安寧を侵したりするような写真じゃないと僕自身を信じてもらえるかどうかだから、まずは見た目から入る。
まあとにかくいたって普通の撮り方をして問題があったらいたって普通に対応することを心掛けている。写真はマトモじゃないけど撮り方は普通に。特に僕はきちんと学校で写真を学んだわけでもない人間なんだからなおさら普通の撮り方を心掛けている。その普通ができないことも多いから普通って大変だ。その普通に撮るということがどういうことなのかがよく分からなくなることもあってそれが写真の深遠であるような気もする。
今年もどうか堂々と撮っていられるような世の中でありますように。それからフィルムと印画紙と現像液の値段も上がりませんように。