movie review: ケルベロス・サーガニ作品 "紅い眼鏡," "ケルベロス -地獄の番犬"

押井守ケルベロス・サーガ作品、「紅い眼鏡」と「ケルベロス 地獄の番犬」を観た。今は便利な時代で、こんなマニアックな作品でもネット上の簡単な購入手続きをすればオンラインで観ることができる。一週間だけの視聴の権利ですが。

いやあ、映画はあまり分からない僕からみても酷い出来だとは分かりました。つかみはいいんだけど、間の悪さがもうある意味芸術的。映画としての出来は最低レベル。アニメのやり方で撮ってしまっているところが多く、それが映画の文脈に合わないわけですね。だから映画としての評価を受ける以前に失格の烙印を押されてしまう。

さてさてそれでもせっかくお金を払ったのだし、ある種伝説的な作品なので我慢して観てみることにする。ケルベロス・サーガシリーズではおなじみの印象的な台詞がいくつか散りばめられていて、それを言わせるためだけにストーリーが書かれていると思われる。例えば、地獄の番犬にある、

「命令されるのは好きか?
 俺は好きだ。
 もっとも、命令するご主人様は選びたいがな。自分が忠実であるべきもの、国家とか思想とか、まあ、色々あるが、何が自分にふさわしいか。俺たちにできるのは、それを選ぶことだけだ。お互い後悔しない主人に会いたいものだな。」

の一節はやっぱり痺れるものがあった。これってのは世の中の価値観から孤立しながらも自分自身の価値観も確立できなかった人が、自分自身の価値観を空虚にしたままで主人の命ずるままに奉仕することによって自分自身の価値観の空虚さを補うことを求めていることだと思う。自分の生きるべき指針を見つけられないままに生きていくのは大きな困難をもたらす。つまり人生の意味を見出せないわけなんだから。そこで「ご主人様」を見つけそれに忠実であることそのものを人生の目的とする。その「ご主人様」がおかしくなると命令を受ける方も破滅しかなく、危険なやり方ではあってもそれは常に求められている。カルトにはまったり異常なほどに仕事に打ち込んだりがよく見る例じゃなかろうか。

地獄の番犬の乾だけど、特機の精鋭のはずなのに初歩的なミスが目立って、世界観を壊しかねないものになっている。乾が撃たれるのはこの物語において必然なんだけど、精鋭のはずがあまりにもショボい。主人に仕えるためにその牙を長大なものにすることにのみ全てを注いだはずなのに。僕が思うに、たとえば、特機の突入隊は本来は単独行動をせずチームで戦うのに、単独で戦闘したがためにチームで埋めるはずの死角を突かれてやられたとかにすれば、彼が精鋭であることに矛盾しないし群れからはぐれた犬という彼の立場を象徴するシーンにもできたしでよかったように思う。逃亡援助組織の林がいい味を出しているだけにもったいない。まあ最後の戦闘シーンはあくまで視聴者へのサービスとも思えるので脚本書いた方はあまり重視していなかったのかもしれないけれど。

あと、林は恐らく特機と何かの縁のある人物と思われる。「だから、ご主人様を捜し求める犬の、愛と感動の物語、その悲劇的な後日談を語ろうとしているんですよ。」「主人と犬の麗しい愛の物語はもう、終わったんだ。いや終わらせなければならない。彼も私も3年掛かってようやく・・・」と言ったり、乾の紅一捜索を手助けしたりと、特機と無縁とは思えない。乾を諭す林は自分が辿ったか、他の誰かが辿った不幸をまたそのまま辿ろうとしている乾に人のもとに行けと言っているように思える。

さて二本の映画の簡単な要約を。紅い眼鏡は文明がキモい映画。地獄の番犬の方は海老を食べるロードムービー。こんなところかな。