「写真空間 1 『写真家とは誰か』」

「写真空間 1 『写真家とは誰か』」を読んでいる。
なんとも頭でっかちで、眠気を誘うような論考が展開されている。しかしその頭でっかちで眠気を誘う様子こそが写真について考えるということであって、正しい態度だと思う。
寄稿しているのは多木浩二、土屋誠一、清水穣(連載)、竹内万里子など写真評論の有力者たちで、とても豪華だ。
写真は受け入れ難い現実を視覚的な快楽へと変換するプロセスだと思う。ティスロンなんかはそう論じている。その変換のプロセスを実現するのはとても簡単だ。写真を撮ればよいのだから。写真発明当初はともかくとして、コダックブローニーから以降では写真を撮るというのは簡単な行為だ。しかしその変換のプロセスの魔術を解き明かし分析することは、その実現のプロセスの簡単さに比してとてつもなく難しい。その実現と分析の乖離が眠気を誘う。「つべこべ言わずに撮ればいいんだよ」と言いたくなる。でも分析とはそういうものだし、それでいい。
それにしても巻頭の「写真空間刊行にあたって」で編集部は

ここでの価値基準は面白いか否か、だけである。

と宣言しているのに一番最初の論文である多木浩二の「写真家とは誰か」では

(写真家とは誰かと:atzhiz注)私に問いかけるのは見当違いです。

と言っていて、そのテンションの違いがまた写真論らしくて良い。
なかなか気に入ったので、1を読み切ったら2や3も購入して読んでみようと思う。

写真空間〈1〉特集 「写真家」とは誰か

写真空間〈1〉特集 「写真家」とは誰か