杉本博司 "光の自然" 伊豆写真美術館


http://www.izuphoto-museum.jp/exhibition/5331237.html

杉本博司という棘

杉本博司は私にとってなんとも難しい存在です。偉大なアーティストであると思いながらも写真家というくくりに入れたくない気もする。僕は日本で写真に親しんできたから、写真は芸術の文脈に置かれないものだと思っている。写真は写真であって、他の何かにくくられるものではない、という信念(妄想?)です。
実際、杉本がまず評価されたのは写真というよりもモダンアートの文脈でだと思う。清水穣などは杉本に関しての文章を多く書いているが、清水穣は本来美術やモダンアートの評論家です。その一環として写真評論も行っている人で、そのような人が杉本について書くことが多いというのは杉本が純粋な写真家ではないということを示していると思えます。*1
杉本は写真の持つ神秘を写真によって示している。それはまさに写真についての写真であって、写真家です。しかしあるコンセプトにしたがってそれを表現する手段として写真を用いているから、写真家というよりも写真を使うアーティストだとも思える。そのコンセプトというのが写真にまつわるコンセプトであるから事態はさらに混沌とする。
私は写真が好きだから、杉本を大変な巨匠だと思いながらも鬱屈したような気持ちを抱かざるを得ない。うまく飲み込むことも吐き出すこともできず喉の奥でちくちくと痛みを与え続ける棘のような存在です。無視することも好きになることもできない。いっそ嫌いになって無視することができればどんなにすっきりすることか。

さて杉本受容について私が感じている困難をここまで書いた上で、今回の展示について書いていきます。今回の展示はいずれもタルボットの影響下にあるものです。

光子的素描:フォトジェニック・ドローイング

タルボットの残した紙ネガを杉本が自らの資金で購入し、プリントしたもの。杉本の作品の売り上げ一年分が20数枚のネガのために吹っ飛んだらしい。美術館などに所蔵されているタルボットのネガをもとにプリントしたかったそうだけれど、ただでさえ化学的に不安定なネガなのにそれをもとにプリントするなら光に曝さなくてならないわけで、当然痛むからやらせてもらえない。そこでオークションに出ているものを杉本が自己資金で買い漁ったそうです。ちなみに杉本のプリントはプライマリーマーケットで100万~200万以上の値段がつけられています。写真を発明した人物として、ダゲレオ、ニエプス、タルボットが挙げられるが、そのうちのタルボットのもの。タルボットはネガ像を得ることには成功したのだけれど、それをポジ像に反転する術を発明することができなかった。そのためにタルボットの写真は、ポジ像にされない未完成の状態のまま100年以上放置されてきたといえる。そこで杉本がそれをポジ像に反転し、100年以上の時を超えてタルボットの写真を完成させて世に示したのがこのシリーズです。
プリントは調色を施したゼラチンシルバー。

放電日月山水図

放電場:lightning fieldsから生まれてきた新作です。放電場はすでに、金沢21世紀美術館とギャラリー小柳とで、二度見ています。細密な描写は現実世界に存在する像ではなくて、ただプリントの上にだけ現れている。写真は現実を視覚的な快楽に変換する装置とも捉えられるけれど、現実を介さずにダイレクトに視覚的な快楽に直結している。そのようなイメージを提示することはすでに絵画で試みられてきたものだけれど(たとえばカンディンスキーコンポジションのシリーズ)、現実の鏡であるとの信仰がある写真的な技法を用いているところに彼の色があると思う。

いずれのものも、少し手を加えすぎているかな、という気がしないでもなかったです。放電の方は面白い造形を見せようと工夫しているように思えるし、光子の方は調色で色をいじりすぎているように思える。もっともこれは好みの問題であって、いずれのシリーズも東京在住の私がはるばる伊豆の三島まで行って見た甲斐はあったと思う。どうせそのうちにギャラリー小柳あたりで同じシリーズを展示するんだろうと思いながらも遠出しました。

IZU PHOTO MUSEUM

ちなみにこの杉本の展示はIZU PHOTO MUSEUMの開館展示です。またIZU PHOTO MUSEUMの建築設計は杉本によるものです。日本的なイメージを持ちながらモダンなイメージに仕上げているあたりは杉本らしさがよく出ていると思います。
[:W800]
[:W800]

*1:まあ、清水は森山大道についても多く書いていますが。