"旅 第1部 東方へ 19世紀写真術への旅," 東京都写真美術館

旅は写真の黎明期から常に関わり合いの深いテーマでした。日本においても幕末に写真が渡来して以来、様々な視点で旅と関わり合いの深い写真が残されています。本展では写真の黎明期から現代に至るまで「旅」というテーマのなかから生み出された多種多様な表現を持つ作品を、3つの視点に分けて展示を構成します。
出品作品はすべて当館のコレクションから構成します。写真ファンから歴史や旅行に興味のある方にまで幅広くお楽しみいただける展示で、今まで出品のチャンスが少なかった稀少な名品も数多くご紹介いたします。

○第1部「東方へ 19世紀写真術の旅」
幕末から明治半ばにかけて、極東への憧れをもって日本を訪れた外国人旅行者に向けてお土産用に製作された手彩色写真(横浜写真)を中心として展示構成します。併せてヨーロッパから極東へと至る旅行写真の系譜もたどります。そこには西洋で発明され、19世紀という時代の中で東方へと伝播してゆく写真術の旅の軌跡をたどると同時に、写真家にとって、また写真にとって「旅」とは何なのか、ということをさぐっていきます。東京都写真美術館が誇る2万4000点余におよぶコレクションより選りすぐられた珠玉の名作の数々を、どうぞご堪能ください。

[第1部の展示構成]

(1)写真術の発明
これはカメラのガラス・レンズが紙の上に焦点を結んでいる自然の絵の美しさを気づかせてくれた--それは一瞬の内に創造され、たちまちに消えてゆく妖精の絵であった。そんな考えにひたっている間に次のようなアイデアが浮かんだ--このような自然の映像をそれ自身の手によって永久に固定し、紙の上の残すことができたらどんなに素晴らしいことか!(ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット『自然の鉛筆』第1巻 1844年刊より) 1833年、タルボットはイタリアのコモ湖へ新婚旅行で訪れ、カメラ・オブスクラの映像を固定するアイデアを思いつきました。写真術は旅の中で胚胎されたのです。

(2)新しい旅のかたち
ダゲレオタイプを見るということは、これまでにない視覚経験をもたらしました。フランスのノエル=マリー=ペマル・ルルブールは、ダゲレオタイプをもったカメラマンを派遣して世界各地の著名な観光地を撮影し、それをもとに版画を起こし『ダゲリアンの世界旅行』と題したシリーズを刊行します。今日のような写真印刷がまだできなかった時代にあって、手で描かれたものであっても、ダゲレオタイプをもとにしているというクレジットによって、それは居ながらにして世界旅行を擬似的に体験できる装置をなりえたのではないでしょうか。

(3)写真術の旅立ち
イギリスで16世紀後半から始まった、貴族の子弟にヨーロッパ文化の古典を実体験させるための研修旅行「グランド・ツアー」は、19世紀の交通手段の発達によって上流階級の人々にとっての物見遊山的な観光旅行へと発展し、近代ツーリズムとなります。その中でカメラは旅を記録する道具として重要な役割を果すことになります。タルボットの友人たちであったカルヴァート・リチャード・ジョーンズやジョージ・ウィルソン・ブリジズ師、ウィリアム・ロバート・ベイカーらはカロタイプという写真技術を携えてイタリア旅行をして、情熱的に撮影を行い、自分たちの旅の思い出を残します。

(4)東方へ
19世紀には、オリエンタリズムと称された東方への憧れが大きな潮流を作り、写真家たちは「東方へ」と旅立ってゆきます。マキシム・デュ・カンやオーギュスト・ザルツマンのような考古学的な興味にもとづくオリエントへの撮影旅行の成果は、その現実性のゆえに人々のオリエントへの憧れをさらに掻き立てることとなり、多くの写真家がカメラを携えて旅立って行きます。さらにアントニオ・ベアトやボンフィルのように、現地に移り住んで撮影を行い、アルバムを作り販売をした写真家も現れ、異国情緒に満ちたイメージを世界に向けて発信します。

(5)アジアへ
オリエントへと旅をした写真術は、イメージ・ハンターとしての欲望を肥大させながらインドを経て東南アジアそして中国へと更なる旅を続けて行きます。ジョン・トムソンは、中国の風景と民族を文化的、人類学的な視点でとらえます。また『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』やネグレッティ・アンド・ザンブラ社の特派員として中国そして日本を旅行したウィリアム・ソンダースやピエール・ジョセフ・ロシエなど、この時期に中国を撮影した写真はオリエンタリズムを超えて清朝末期の中国の現在をとらえようとするものが数多く見られます。そこには、報道写真家といってよいまなざしが見てとれるのではないでしょうか。

(6)そして日本へ
開国と攘夷に揺れる激動の幕末は、写真術が渡来し日本に定着するときでもあります。「19世紀の報道写真家」とも称されるフェリーチェ・ベアトは幕末に日本を訪れ、各地の風景や風俗、事件を撮影し、イギリスのメディアに送る一方、観光客を相手にしたアルバムの制作も始めます。ベアトの写真は、ピクトリアルでありながらも、報道写真家の名前にふさわしい記録的なまなざしが貫かれています。そして明治へと時代が変わると外国人観光客は増加の一途をたどり、「横浜写真」と称される手彩色の写真を豪華な蒔絵の表紙で飾ったスーベニール・アルバムが隆盛します。カラー写真と見まごうばかりの写真には、西洋人が抱く日本のイメージが見られますが、明治の日本の現実を記録した写真としても豊かな内容を持っています。

(7)西国巡幸
1872(明治5)年5月、明治天皇は東京を出発して伊勢、京都、大坂、長崎を経て鹿児島まで明治維新後、初めての巡幸を行います。写真師内田九一が随行し、のちにアルバムにまとめられます。内田が撮影したのは巡幸する天皇ではなく、天皇が見た光景を撮影するものでした。天皇の眼差しを見せようとする写真は、「国見」という行為をイベント化するものと言えるのではないでしょうか。

写真美術館での展示。見てきた。木、金曜日は20時まで開催しているのでありがたい。旅をテーマにした3部シリーズ展示の第1部。今回は"東方へ 19世紀写真術への旅"として時間軸にはさしてこだわらず写真の誕生からその伝播を追って構成されている。写真術という技法自体が旅をして伝播していくというのと、ピクトリアルな傾向の強い当時の写真は観光旅行を擬似的に楽しませる役割もあり観る者が旅をする、というのと、二つを掛けているのではと思った。

古典写真がいっぱい見れた。ダゲレオタイプが1点、カーボン印画プリントが数点、鶏卵紙プリントが数十点、横浜写真(鶏卵紙プリントに手彩色)が数十点あった。主題は人物と風景・建築がやはり多い。古典写真だからやはり標準レンズによるものばかり。

この時代の写真は絵画の代替という傾向が強い。それでもそこかしこから染み出てくる記録性、意外性が写真というものの面白さを引き出していて見ていて飽きない。写真の汲めども汲みつくせない深さが端々に現れている。また写真を絵画とは違う芸術だという信念を持っている僕たちとは明らかに違う撮り方をしていて、写真の来し方を考えさせる。

ダゲレオタイプなどのガラス乾板にそのまま金属が乗っているものはキラキラとした金属の輝きが美しい。かつてはガラスを平らに磨くのが写真術修行の初歩にして極意だったという。

横浜写真の展示が多かった。日本の風物をやや大仰に脚色して伝えている横浜写真は正直見ていてクドイ。でもこれほど分かりやすい写真というのも無い。

写真自体も美しいし入場料も安いし写真の来し方行く先を考えさせられたりで、お得な展示なので恵比寿に寄ることがあったら見てはいかがでしょう。

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